2011年 04月 17日
今回は、今のところ写真がありません。 それどころでは無いほど時間に余裕がなかったこと、(これは記事をお読みになればわかります)それと報道カメラマンでも無い僕は、カメラが向けられなかったことです。 今回の経緯からお話致しましょう。 仙台に本社のある奥田建設。 多くの建築物から、架橋や護岸工事まで。 例えば、宮城県庁、仙台市宮城総合支所、仙台市宮城消防署、開成橋、宮城大橋、広瀬川護岸、宮城県立宮城野高校、宮城県立利府高校そしてユアテックスタジアム仙台(J.V)。 数えるときりがありません。 東北の街を創る、重要な会社です。 現会長の奥田和男氏は、仙台、いや東北の為に尽力されてきました。 それは建造物に留まらず、文化、教育にまで及びます。 某音楽事務所の副社長が、コンサートの企画を高飛車な態度で頼みに来たことがあります。 会長は(当時社長)はこれを一喝。 塩を撒かれて追い出された事務所の副社長は、ほうほうの体で逃げ帰りました。 事務所のトップからお詫びの電話も受け付けず、結局直々に謝罪にこさせたのです。 最近は、こんな日本人が少なくなりました。 そんなこともあり、非常に信頼している奥田会長に、この度の震災のお見舞い状を送りました。 その中に、早い時期の現地での演奏を依頼しました。 こちらからの押しかけです。 最終的には、奥田会長が原さんを始め僕らにお願いをした形でコンサートが企画されました。 ここが偉い。 あくまで奥田建設側の依頼として(精神的な意味を含め)、計画を進められたのです。 16日がコンサートなのですが、僕が奥田会長と電話で話ができたのは」、なんと5日前の11日。 原さんと僕で手分けしてメンバーを招集。 元#&♭のメンバー6人をピックアップしました。 これで決まったと思ったら大型の余震。 これでせっかく仙台までつながっていた新幹線はストップ。 急遽空路に変更するも、航空券の手配は困難な状況。 これを会長の力で自民党に働きかけ、席を確保。 ところがベースは載せられない為、佐瀬正は車での移動。 ギターのカポネさんも同様の理由で、福島から在来線で。 またトロンボーンの片岡雄三は、その日に帰京せねばなりません。 しかも彼の車は使えない。 こうなると僕が車を出して、コンサート終了後に彼を中野まで送り届ける。 なんとしてもやらねばならないことなので、この段取りでスタート。 ところが当日11:09に栃木で大きな余震。 佐瀬正の車は、通行止めに。 そしてカポネさんの新幹線は大宮でストップ。 追い打ちをかけるように、福島~仙台間の在来線は強風のため運転中止。 佐瀬正の車は強風の中、カポネさんは高速バスに乗り換えての移動。 全員が揃ったのは、予定よりも2時間ほど後です。 ここからが大変。 とにかく譜面の打ち合わせが難しい。 リクエストに応えるため、フルバンドノ譜面を使って再アレンジ。 こんな綱渡りは、シャープスで数え切れない本番をやった仲間だからです。 その中でカポネさんは凄かった。 彼の耳と感性で、この難局を支えてくれました。 もちろん、全員が良い演奏をしました。 会場は避難場所になっています。 ダンボールであちらこちらに仕切りがあります。 もう40日近くの避難生活。 疲れが無い訳がありません。 それでも、皆さんは手拍子などして楽しんでくれました。 全員が近くにこられるスペースはありません。 殆どの方は、それぞれの居住空間で聴くことになります。 演奏曲目は殆どがリクエスト。 「A列車で行こう」「リンゴ追分」「上を向いて歩こう」など。」「ふるさと」 フロントのマイク・プライスは、音楽の流れを把握して居場所を掴みます。 片岡雄三は、暖かくそしてエキサイティングに。 稲垣貴庸はアンサンブルの要所を締め、佐瀬正は最後まで豊かなビートを寄与。 ソーラン節では稲垣氏の叩いたリズムを、お客さんが模倣するコール・アンドレ・スポンスもあり、アップテンポで演奏された「真っ赤な太陽」では身体を動かしてのっている方も。 原さんは最初や曲間のスピーチで、お客さんに多くを語りかけます。 進行を締めてくれたのは、ファイナルコンサートでの秀逸な進行が評判だった石尾和子さん。 僕はコンダクトで、精神が混濁しそうでしたが(すみません)、なんとか無事に終了。 アンコールの「ふるさと」。 これは心を無にして、出来る限り美しい音楽を演奏するように努力していても、つい感極まりそうになります。 会長を始め奥のお客さま方は、泣いていらっしゃったそうです。 3番の歌詞には「いつの日にかかえらん・・」という部分があります。 帰る場所が無い方も、いや多くの方が帰るべき場所を失ってしまったのです。 仙台到着後、食事時間以外は全く余裕が無く、本番。 ステージ衣装はシャープスのユニフォーム。 こんな時には制服です。 僕らにとっては戦闘服です。 僕のアイディアを、メンバー皆が二つ返事で賛成してくれました。 また奥田会長からのギャラを、皆の取り決めで固辞。 「日本人なら当然です」というカポネさんの言葉が力強い。 会長も快く理解してくれました。 原さんからは、寸志を頂きました。 これは昔のボスからの気持ちです。 ひとつ残念だったことは、避難場所におられる方以外が入場できなかったことです。 僕もブログで呼びかけてしまった責任があり、交渉いたしました。 しかし東北新聞に記事が大きく掲載されたために、多くの方が訪れ、避難所の職員方だけでは誘導しきれなかったことが原因です。 申し訳ありません。 ご迷惑を掛けた方々には、心からお詫び致します。 状況が許せば、何度でも仙台やその他の場所へ行きたいと考えております。 震災後に、日本人の素晴らしさを誇らしく思います。 庶民には、まだ日本人の良さが十分残っているようです。 それに比べ、政界のトップの質の劣化はどうしたことでしょう。 国難を乗り越えるには、国民のよりどころとなる指導者が必要です。 日本の二次災害は、現内閣が無能だということに他なりません。 終了後、片岡雄三を送って帰宅。 家を出て17時間、9時間以上の運転。 トリップメーターは700km近くに迫っていました。 しかし、今年最も充実した意味のある一日となりました。 また奥田会長始め、幹部の方々自らが僕らのお世話をして頂き、心から有難く感じております。
by sunrisek6
| 2011-04-17 18:00
| 復興支援
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