何と数十年振りに六本木のジャズクラブの老舗、アルフィーでのライブ。
西村知恵のバンドでした。
彼女はジャズの要素を持つ数少ない日本の歌手のひとりです。
その強みは歌っている時の腹の括り方かもしれません。
恣意的で自分本位なミュージシャンでは、こうは行きません。
ところで個人的に長いスランプは、急な発熱と共に暗中の光明を垣間見た感があります。
自分の基盤が揺らいだ時に立ち戻るアルトの巨人たちがいます。
この基盤とは音楽的なものというより、アルトサキソフォン奏者としての自分の楽器に対する姿勢に焦点を合わせた技量に関することです。これは決して音楽やジャズ全体から考えて限定的な狭い範囲を示すものではなく、演奏家としては生死を分ける重要な必要条件です。
どんなに偉い事を言っても、指の動かないピアニストは虚しい。
足下から浮き立つリズムを打てないドラマーも悲劇です。
それと同じく、自分の声を持てないサキソフォニストは籠の中の鳥のようなもの。
しばらく自分の音が聴こえずに苦労しましたが、全く考えもしなかった事象に遠因がありました。
前述したアルトサキソフォニストの学ぶべき3人は、チャーリー・パーカー、キャノンボール・アダレイ、フィル・ウッズです。もちろん星の数ほどアイドルは存在し、全ての先達からは貴重な恩恵を受けています。けれどこの三人に絞ることには意味があります。様々な曲想、テンポにおいて自分が不明な点をチェックします。過去には的確に把握していなかった表現が見つかる時が、自分の蜜月の終わりです。そこからは基本に立ち帰って、欠落した自分の感性を充溢させねばなりません。
この夜の演奏を聴いた方々は、何らかの過渡的な試みを僕のサキソフォンから感じたことでしょう。